東京地方裁判所 昭和49年(ワ)3789号 判決 1979年3月12日
原告
花王石鹸株式会社
右代表者
丸田芳郎
右訴訟代理人
野田純生
外六名
被告
東京都
右代表者知事
美濃部亮吉
右指定代理人
関哲夫
外四名
主文
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
第一本件報告書公表が原告会社の名誉を毀損する行為に該るかどうかについて
一争いのない事実
原告会社が訴外ライオン油脂と並んで我国における家庭用合成洗剤の二大メーカーの一つであり、右製品の市場占有率は、両社で六〇ないし七〇パーセント(推定)を占め、うち原告会社の占有率は大体その二分の一すなわち三〇ないし三五パーセントであること、物価局が、原告主張のとおり、本件調査を実施し、その結果を本件報告書に作成したこと、本件報告書の中で、物価局が通産統計の数量を引用して〔表―1〕を作成し、右数値を基礎にして〔図―4〕〔図―5〕の二つのグラフを作成して掲載し、それらについて請求原因二、3、(一)、(1)のとおりの説明を加えたこと、又、AB二社の都内出荷状況について同二、3、(一)、(2)のとおりの説明を加えたこと、本件報告書結論部分に「本件調査結果を総合的に判断すると「洗剤不足」が起つた第一の原因は、やはり業界等による生産制限、出荷操作にあつたのではないかと疑わざるを得ない。」との記載があること、物価局は本件報告書を昭和四九年三月二七日都議会に報告すると共に、同日新聞等の報道機関に本件報告書を配布し且つ記者会見をし、その内容を公表し、又、同日東京一二チヤンネルテレビが同日一七時三五分から一七時五〇分までのニユース・レポート番組において「洗剤よおまえもか―つくられたパニツク」と題する報道を行い、右番組に物価局の本件調査担当職員が出席し、直接本件結論の説明を行なつたことはいずれも当事者間に争いがない。
二次に、<証拠>によれば、被告は、昭和四九年二月一五日、東京都緊急生活防衛条例(東京都条例第八号)を制定、公布したが、同条例においては、都民生活にとつて必要な物資の円滑な流通を図り、不適正な利得を排除し、もつて社会的公正を実現して、物価の高騰その他経済の異常な事態から都民生活を防衛し、その安定を図るため(第一条)、知事は、常に、生活物資の生産、流通等の事実活動の実態について明らかにするように努める義務があり、この義務を達成するため、物価の動向及び事業活動における生活物資の需給等に関する情報を収集し、その結果を明らかにしなければならず(第二条)、又、事業活動を行う者が、知事の指定する生活物資について、円滑な流通を妨げ、又は標準的利得を著しく超える価格で販売する行為を行つているおそれがあると認められるときは、直ちにその実態を調査しなければならず(第四条)、そのため、関係資料の提出を求めたり、書面による協力を求める権限があること等について規定していること、右条例の制定に伴い、被告は、右同日、東京都組織規定の一部を改正する規則(東京都規則第一四号)を制定、公布し、旧来の東京都消費生活対策室を廃し、六部一五課を擁する物価局を新設、発足させたこと、報告は、洗剤不足が生じた当時から、右消費生活対策室においてこれに関する若干の調査をしていたが、物価局においてこれを引継ぎ、昭和四九年二月二五日から同年三月一九日までの間を調査期間とし、本件調査を行つたこと、本件報告書には、前示の記載があるほか、東京都内向出荷状況に関し、「イ、企業側では『都内の消費量は飽和状態にあり、出荷割合は下回る傾向にある。しかし、絶対量は増えているはずだ。』と説明している。たしかに都内の出荷割合は当局の推定によつても年々下回ることとなるが、その下げが大き過ぎていたところに問題があつたものと思われる。ウ、また、絶対量が増えているという企業側の説明であるが、一月から一〇月までの期間を見れば、昭和四七年は四六年に対し、三七〇四トン増え、昭和四八年は四七年に対し三七三九トンと、たしかに増えている。しかし洗濯機台数の増加、人口の増加、その他の需要増加を考えた場合、これだけでは、十分な安定供給が図られていたとは思えない。」と説明し、問屋、小売店から消費者までの流通過程に関しては、「ア、問屋、小売店における合成洗剤の入荷状況をみると、七、八月を境に、入荷量が著しく減少している。しかも、量販店であるスーパーに較べ、零細な雑貨店に対する入荷が一月においても余り改善されていない。これらの傾向からして、この時期において、問屋等の選別出荷の煽りを受けたものと思われる。」と説明していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
原告会社は本件報告書の公表により洗剤不足の原因は原告会社が恰も生産制限・出荷操作をなしたからであるかの如き認識を広く社会に流布され、原告会社の名誉が毀損されたと主張するので、本件報告書の内容、表現の方法等に照らし、社会一般が本件報告書を如何に受けとめたか、本件報告書の公表行為が原告会社の名誉を毀損するものであるかどうかについて検討する。
1 原告会社は本件結論の「業界等による生産制限・出荷操作」の業界等とはメーカーすなわち原告会社及び訴外ライオン油脂を中核とするメーカーを意味し、社会一般もその旨受けとめたと主張するので判断する。
(一) <証拠>によれば、本件報告書Ⅱ項(調査の概要)には本件調査の着眼点の(1)として「製品の生産、出荷段階等において、意識的な制限操作が行われた事実がなかつたかどうか。」と記載されていることが認められ、右事実に本件報告書の記載の全体の趣旨を総合すれば、そこに出荷とは流通段階における出荷を意味表現するものではなく、工場出荷を意味表現したものと考えるのが相当である。
(二) 又、<証拠>によれば、本件報告書は本件結論の根拠の一つとされた業界全体の生産・出荷状況(Ⅲ項1及びⅣ項)に関しては業界の概要としてメーカーだけを問題としており、その中で原告会社と訴外ライオン油脂(調査対象としてはメーカー段階では右二社の名前だけを記載している。)の市場占有率を推定で六〇ないし七〇パーセントと説明していること、又、業界全体の生産・出荷状況(Ⅳ項)の中では、出荷に関してメーカー出荷については数値図表を詳細に掲げ論じているものの、流通各段階(問屋、スーパー、一般小売店)については入荷状況の数値図表を掲記するもそれらの出荷状況については触れておらず、その要約に該る前同Ⅲ項1の中でも製品の出荷段階については論じているが、流通段階についてはこれを全く論じていないこと、更に、本件結論の根拠の一つとされた東京都内向出荷状況(前同Ⅲ項2及びⅤ項)に関しては右二社の数値だけを使用されていることが認められる。
(三) 右各事実に、生産制限という言葉はメーカーに対するものでありそれ以外には考えられないことを合わせ考慮すると、被告は業界等とはメーカー、流通業者、その他関係団体を含む漠然とした広い概念であると主張し、<証拠>中にはそれに副う部分があるものの、本件結論に掲記された業界等とはメーカーを指称するものといわざるを得ず、本件報告書の公表を見聞した社会一般にその旨印象づけ受けとめさせたことは明らかであり、それは<証拠>により認められる本件報告書公表の後都民から何故メーカーだとはつきりいわないかとの反応が寄せられたこと及び当事者間に争いのない請求原因二、4、(二)の各新聞報道(その見出しはいずれも洗剤不足の原因はメーカーによる旨明示又はそれをにおわせるものである。)からも窺えることである。
右の如く、本件結論における業界等とはメーカーを指称するものといえるところ、右二社の市場占有率が六〇ないし七〇パーセントであることは当事者間に争いがないから、この事実に本件報告書の記載の全体の趣旨を総合すれば、右業界等とは原告会社及び訴外ライオン油脂を意味し、その旨社会一般が受けとめたであろうことは容易に推認できるので、本件結論は右二社を特定表現していないが、「右二社による生産制限・出荷操作」を意味し、その旨社会一般に印象づけたものといわざるをえない。
2 原告会社は本件結論の表現は単なる疑念の表明とはいえず、社会一般に洗剤不足の起つた原因はやはり右二社による生産制限・出荷操作にあつたと認識せしめるのに必要にして充分な表現であると主張するので判断する。
(一) 本件報告書結論部分に「本件の調査結果を総合的に判断すると、「洗剤不足」が起つた第一の原因は、やはり業界等による生産制限・出荷操作にあつたのではないかと疑わざるを得ない。」との記載があることは当事者間に争いがないところ、本件報告書の内容を検討すると、本件結論を導き出す根拠とされた業界全体の生産出荷状況、原告会社及び訴外ライオン油脂の東京都内向出荷状況に関する内容は詳細にして積極的断定的表現をもつて記載されていることが認められ、この事実に前示の本件報告書の記載の全体の趣旨を総合すれば、右の「……やはり……にあつたのではないかと疑わざるを得ない。」との表現方法は、前掲証人の「疑念の表明である。」旨の証言にも拘らず、その表現方法からして単なる疑念を表明したものとは受け取れず、むしろ、原告会社及び訴外ライオン油脂により粉末洗剤の生産制限・出荷操作がなされたことを前提とし、それが「洗剤不足」の第一の原因であるとの推認を強く積極的に前面に押し出し、その旨一般社会に印象づける表現方法であるということができ、加えて、本件調査が被告の東京都緊急生活防衛条例第四条に基づく公的立場からの且つ洗剤不足騒ぎが沈静化した直後のものであることを考えると、社会一般は本件結論を単なる消極的な疑念表明でなく積極的な断定的表明として受け取つたであろうことは容易に推認できるところである。
そのことは、昭和四九年三月二七日本件報告書を物価局から配布された各新聞社が、翌二八日付朝刊において、「洗剤の値上り、業界の操作が原因」(朝日)、「洗剤不足メーカーが操作」(毎日)、「洗剤の“演出パニツク”あばく」(読売)、「「洗剤不足」も作られた」(日本経済)、「やはり“人為パニツク”」(東京)の各見出しで本件報告書の内容を掲載したこと(この事実は当事者間に争いがない。)からも明らかである。
更に、物価局の本件調査担当職員が同日東京一二チヤンネルテレビの一七時三五分から一七時五〇分までのニユース・レポート番組「洗剤よおまえもか―つくられたパニツク」に出席して本件結論の説明を行なつたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、右職員である物価局指導部長藤田晃三は、アナウンサーの問に対し、「我々は結論としては、……やはり今、先ほどの図でご指摘したような生産段階における生産調整といいましようか、出荷の操作といいますか、こういうものがあつたのではないかという疑いを強くもつておる、こういうことです。」と発言していることが認められ、右事実によれば物価局は本件結論を単なる疑念としてではなく推認としての意味を内包する表現として使用したものと認めるのが相当である。
(二) なお、被告は業界等による生産制限・出荷操作が洗剤不足の唯一の原因であると断定的に指摘していないと主張するが、本件報告書の内容を検討すると、それは全体として本件結論が洗剤不足の原因の主要な地位を占めるものであると指摘していることが認められるので、被告の右主張は理由がなく、又、被告は物価局は本件報告書結論部分において本件結論に付言して「これを別の角度から解釈したとしても、企業側における「消費者への配慮」に欠けていた点が消費者の不安を増巾させる結果となつたのではないだろうか。いづれにしても、今後、第二第三の洗剤不足が起らないことを願つて調査報告の終結としたい。」と記載しているのであり、被告が本件報告書結論部分において言いたかつたことは、洗剤不足の原因の究明もさることながら、今後二度とかかる事態が発生しないよう業界側に格別の配慮を要望することにあつたと主張し、<証拠>中にはそれに副う部分も存在するが、本件調査の目的は昭和四八年一一月に突然起きた家庭用(衣料)合成洗剤の「もの不足」の原因を明らかにすることであり、具体的には製品の生産出荷段階等において、意識的な制限操作が行なわれた事実の有無、もの不足に便乗して不当に価格を引き上げた等の事実の有無を着眼点とした調査であり(このことは当事者間に争いがない。)、<証拠>によれば本件調査は洗剤不足の原因究明に向けてなされ、本件報告書は右原因究明を中核として作成されていることが認められるので、被告主張のとおりの付言記載が本件報告書結論部分にあつたとしても、その占める位置はあくまでも付加的付随的な単なる希望表明にすぎないものというべきであるから、被告の右主張は何等理由がない。
(三) 右の如く、本件結論の表現は、単なる疑念の表明とはいえず、社会一般に洗剤不足の起つた原因はやはり生産制限・出荷操作にあつたと認識せしめるのに必要にして充分な表現であるというべきである。
三以上の如く、本件結論は原告会社を含めたメーカーが生産制限・出荷操作をなし、それを主たる原因として洗剤不足が生じたとの内容を表現するものといわざるをえないところ、右内容は原告会社の名誉を毀損するに足りるものであることは明らかであるから、本件報告書の公表により原告会社はその名誉を毀損されたというべきである。
四なお、
1 被告は、本件報告書の公表当時新聞、テレビにより洗剤不足は業界側の意図的な生産制限・出荷操作によつてつくり出されたものである旨断定的に報道されていたから、本件報告書の内容は既に公知の事実であり、本件報告書を公表したからといつて原告会社の名誉を毀損する行為とはいえないと主張するが、保護法益の侵害の有無は保護法益に向けられた侵害行為毎に各別に論ずべきが当然であるから、既に本件報告書と同様な事実が報道機関により報道されていたからといつて、その事実をもつて本件報告書の公表が原告会社の名誉を毀損する行為に該らないと結論づけることはできず、被告の右主張には何等理由がない。
2 又、被告は、国民生活に重大な影響を与える地位にあり、かつ社会公共的使命を負つた原告会社に対する批判は、公的人物に対する批判として把握されるべく、それは憲法で保障されている表現の自由の領域の中心であるから、本件報告書の内容が仮に原告会社の名誉を毀損するものであつても、原告会社はそれを当然受忍すべきであるから、本件報告書の公表は本来原告会社の名誉を毀損する行為に該らないと主張するが、公的人物に対する批判がすべて表現の自由によつて保障されるものとは限らないので、原告会社が被告主張の公的人物に擬せられるかどうかを検討するまでもなく、被告の右主張は何等理由がない。
第二本件報告書の公表と原告会社名誉毀損との間の因果関係の不存在について
被告は前記当事者間に争いのない各新聞の洗剤不足の原因はメーカー側にあるとの報道は、各新聞社の自由な取材活動に基づき本件報告書に対し独自の評価、判断を加味して行なつたものであるから、仮に右報道により原告会社の名誉が毀損されたとしても、それは本件報告書の公表とは因果関係がないと主張するが、前項において説示した如く、本件報告書の内容は原告会社の名誉を毀損するに必要にして充分なものであるから、被告が本件報告書を都議会に提出すると同時にその要旨を新聞記者に公表し、物価局職員が東京一二チヤンネルテレビに出席し本件結論の説明を行なつたことは前記の如く当事者間に争いがない以上、これにより原告会社の名誉は毀損されたといえるので、右報道による原告会社の名誉の毀損を問題とする被告の主張は理由がない。
第三違法性の阻却(抗弁一)について
被告は、本件調査の結果認められた、第一、昭和四八年五月から九月までの家庭用(衣料)合成洗剤の総生産量の昭和四七年同期に対する伸び率が昭和四七年の昭和四六年同期に対する伸び率に比して著しく低いこと、第二、在庫量と都内向け出荷割合が減少していること、第三、原告会社が大手スーパーへの重点出荷に切り換えたこと、第四、価格値上げの準備工作が行なわれたこと、第五、販売会社、卸問屋等による製品滞留の疑いがあること、第六、液体洗剤の生産出荷操作の疑いがあること、の六つの事実の存在に照し、本件報告書結論部分において指摘した本件結論の「洗剤不足が起つた第一の原因はやはり業界等による生産制限、出荷操作にあつたのではないかと疑わざるを得ない」事態が存在したことは真実であり、本件報告書の公表事実は公共の利益に係わり、その目的は専ら公益を図るためのものであるから、右公表は違法性を阻却されると主張するので、以下、被告主張の右各事実が真実存在し本件結論が真実に合致するかどうかについて検討する。
一第一の事実(生産出荷状況)について
1 本件報告書の結論部分に「本件の調査結果を総合的に判断すると、「洗剤不足」が起つた第一の原因は、やはり業界等による生産制限・出荷操作にあつたのではないかと疑わざるを得ない。」との記載があることは前記の如く当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、その本件結論を導き出すに到つた根拠として、本件報告書はⅢ項(調査の結果)において、1(業界全体の生産、出荷状況について)、2(東京都内向出荷状況について)、3(問屋、小売店から消費者まで)と三つに分けて記載し、更に、1につきⅣ項(生産、出荷状況)、2につきⅤ項(都内向出荷状況)、3につきⅥ項(問屋、小売から消費者段階にいたる物流状況)において、数値、図表を掲げ詳述していることが認められ、被告主張の第一の事実はそのⅢ項1、Ⅳ項に対応するものなので、本件報告書記載の当該項記載の事実の存在の有無についてまず検討する。
(一) 物価局が通産統計の数量(粉末洗剤と液体洗剤の合計数量)を引用して〔表―1〕を作成し、右数値を基礎にして〔図―4〕(生産量の推移)、〔図―5〕(出荷量の推移)の二つのグラフを作成して掲記したこと、〔図―4〕の読み取りとして「昭和四六年に対し昭和四八年は三月〜九月までの生産伸び率が低く、特に七月における生産伸び率の低かつたことが目立つている。また、昭和四七年に比較してみると、五月〜九月までの生産伸び率が低く、ここでも七月が特に低くなつている。」と説明していること、〔図―5〕の読み取りとして「昭和四六年及び昭和四七年に対し昭和四八年は七・八月の出荷量が特に低く落ちているのが目立つている。しかも、例年二月から六・七月にかけ夏場に備えての生産・出荷が大巾に伸びていたのに較べ、四八年における生産の伸びが極端に小さく、また出荷も四月より五月の方が減少した例は過去に見られなかつたことである。」と説明していること、生産量、出荷量について物価局が各必要量を〔図―4〕〔図―5〕に昭和四八年四月から九月までの間につきグラフ化したうえ、生産量、出荷量の各不足量を粉末洗剤については一万五七五八トン、出荷量については七四七八トンと説明したことは当事者間に争いがない。
(二) 右当事者間に争いのない〔表―1〕〔図―4〕〔図―5〕に関し、原告会社は、本件調査の目的は家庭用(衣料)合成洗剤の不足の原因を明らかにするものであるところ、家庭用(衣料)合成洗剤とは家庭用「粉末」合成洗剤と同義であり、家庭用「液体」合成洗剤とは無関係であると主張するので、まず、前提として本件調査の目的たる家庭用(衣料)合成洗剤とは何かについて考える。
家庭用合成洗剤は、その用途別では衣料用と台所用及び住居用に大別でき、形態別では粉末と液体に大別されること、粉末洗剤はその殆どが衣料用であり、液体洗剤の殆どが台所用、住居用であること、液体洗剤が衣料用として通常は使用されないことは当事者間に争いがない。又、<証拠>によれば、衣料用洗剤のうちで粉末洗剤の全体に占める割合は昭和四八年当時で約99.9パーセントであり、残約0.1パーセントが液体洗剤であり、昭和五一年当時の液体洗剤のそれは約一パーセントであることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
次に、物価局が本件調査に当たり原告会社及び訴外ライオン油脂に照会を求めたのは粉末洗剤の生産出荷在庫量に関してであり、液体洗剤についてはこれを求めなかつたこと、物価局は本件調査において粉末洗剤について生産出荷の不足量の試算をしたことは当事者間に争いのないところである。
以上の事実によれば、本件調査の目的とされた家庭用(衣料)合成洗剤とは家庭用「粉末」合成洗剤を指称するものであるということができる。
そこで、本件調査の目的が昭和四八年一一月に突然起きた家庭用(衣料)合成洗剤の不足の原因を明らかにするものであることは前記の如く当事者間に争いがないので、以下次項において家庭用粉末合成洗剤の昭和四六年から四八年の生産の実態を検討する。
2 家庭用粉末洗剤の昭和四六年から四八年までの生産出荷の実態について
(一) 粉末洗剤の生産量について
(1) 業界全体の生産量
(イ) 〔表―1〕は別紙三記載の通産統計の家庭用合成洗剤(計)より昭和四六年から四八年にわたる三か年の洗剤業界全体の月別生産実績数量(粉末洗剤と液体洗剤の合計数量)を引用しその合計数量を表としたものであることは当事者間に争いがないところ、右通産統計には昭和四六年から四八年にわたり粉末洗剤と液体洗剤に区別して各生産数量が記載されている。
そこで、右通産統計の粉末洗剤生産数量値をもつて〔表―1〕を作りかえれば、昭和四六年から四八年にわたる粉末洗剤の各生産数量は別紙七記載の表のとおりとなり、本件報告書にある指数化をもつて〔図―4〕のグラフ化を行なうと、それは〔図―(1)〕のとおりとなることは当事者間に争いがない(但し、別紙七記載の表の昭和四八年一月の指数は除く。)。なお、被告が争う同表同月の指数は前記当事者間に争いのない別紙三記載の通産統計によれば同月の生産量は四万一一九〇トンであるから、指数は一一六であることが認められる。
(ロ) 〔図―(1)〕によると、昭和四八年の粉末洗剤の生産数量の推移は順調な伸び率を示し、同年六、七月期において前年同期の伸び率より若干減少しているものの、昭和四六年、四七年のそれとほぼ類似の傾向線を示しており、特に目立つた異常が存在しないことが認められ、右事実によれば被告が本件報告書Ⅲ項において指摘する「……四八年夏場から秋口にかけての生産量の伸び率が非常に小さく、特に七月の生産量においては四七年を下回るという過去に例のない異常な状態が見受けられる。」との事実、及びⅣ項において指摘する「昭和四六年に対し昭和四八年は三月〜九月までの生産伸び率が低く、特に七月における生産伸び率の低かつたことが目立つている。また、昭和四七年に比較してみると、五月〜九月までの生産伸び率が低く、ここでも七月特に低くなつている。」との事実は見受けられないといわざるをえない。
(2) AB二社の生産量
〔図―(4)〕が別紙五記載の二社合計生産出荷在庫表(粉末洗剤分)のAB二社の昭和四六年から四八年までの生産量を指数化しグラフ化をしたものであることは当事者間に争いがないところ、〔図―(4)〕によれば、AB二社合計の昭和四八年の生産量の推移は、六、七月の伸び率が前年同期に比較して少ないものの、ほぼ昭和四六、四七年と類似の傾向線を示していることが認められ、被告が指摘するような前項記載の本件報告書Ⅲ項の指摘する過去に例のない異常な状態は見受けられない。なお、昭和四八年六、七月の伸び率が前年同期に比較し少いことは右に見た通りであるが、そのことから直ちに生産制限があつたものと即断できないことは、〔図―(4)〕により認められる昭和四八年八月期においては前年、前々年の各同期におけると異なりかえつて生産量が増大している事実に徴し明かである。
(二) 粉末洗剤の出荷量について
(1) 業界全体の出荷量
〔図―5〕が別紙三記載の通産統計の昭和四六年から四八年までの粉末洗剤と液体洗剤の出荷各合計数量を基礎にしてそれを指数化しグラフ化したものであること、右通産統計には昭和四八年については出荷量に関し粉末洗剤液体洗剤と区別して記載しているが、昭和四六、四七年については右区分がなく、粉末洗剤液体洗剤を合計した数量のみを計上していることは当事者間に争いがない。
してみると、右通産統計の数量を基礎として前項記載の業界全体の粉末洗剤の生産量の如く直ちに業界全体の粉末洗剤の出荷量の指数化をしそれをグラフ化することはできない。
しかし、<証拠>によれば、工業会が同会加入メンバー大手一二社から入手した数字をもつて作成した昭和四六年から四八年までの家庭用合成洗剤出荷量は別紙一〇記載の如き数量と指数であり、それをもつて〔図―5〕と同様のグラフ化をしたものが〔図―(3)〕であることが認められる。
そして、<証拠>によれば、右工業会加入大手メーカー一二社の家庭用合成洗剤(粉末)メーカー全体に占める占有率は約九〇パーセントであり、残約一〇パーセントの部分は多数の小規模メーカーにより占められていることが認められるので、右工業会データは業界全体の出荷量を論ずるに充分な資料といえる。
ところで、右の〔図―(3)〕によれば、昭和四六、四七年度においては、出荷量は、三月から七月に向つて上昇を続け、同月を第二の頂とし、八、九月は下降線をたどり、一〇、一一月にかけてやや上昇し、一二月に最大量に達し、翌年一月に最も落込んでいるが、昭和四八年度においてはやや様相を異にし、二ないし四月は前年度より高水準のまま推移し、五、六月にかけて急上昇し、六月を第二の頂として、七、八月と下降線をたどり、九月から上昇傾向となり、一一月に最大量に達し、一二月には前年、前々年度より落込んでいることが認められるものの、七月の落込みは前月期における出荷量の急上昇の反動と見られないこともなく、又、新製品の競争等市場供給に変化を与える要因が他に存し得ることを勘案すれば、それらの要因の有無を解明することなく、七月期の出荷量の落込みから直ちに出荷操作を推認することは早計に過ぎるものといわざるを得ず、他に〔図―(3)〕から被告が本件報告書Ⅲ項において指摘する「四八年夏場から秋口にかけての出荷量の伸び率が非常に小さい」事実及びⅣ項において指摘する「昭和四六年及び昭和四七年に対し昭和四八年は七・八月の出荷量が特に低く落ちているのが目立つている。しかも、例年二月から六・七月にかけ夏場に備えての出荷が大巾に伸びていたのに較べ、四八年における生産の伸びが極端に小さく、また出荷も四月より五月の方が減少した例は過去に見られなかつたことである。」との事実を見出すことはできない。
(2) AB二社の出荷量
〔図―(5)〕が別紙五記載の二社合計生産出荷在庫表(粉末洗剤分)のAB二社の昭和四六年から四八年までの出荷量を指数化し〔図―5〕と同様のグラフ化をしたものであることは当事者間に争いがないところ、〔図―(5)〕によれば、〔図―(3)〕についてとほぼ同様な傾向が見受けられるものの、それ以上に右(1)項記載の本件報告書Ⅲ、Ⅳ項の指摘するような事実は見受けられず、かえつて、昭和四八年七、八月の出荷量は昭和四六、四七年と同様六月に比較して落ち込むことなく増加していること、又、五月の出荷の方が四月より増加していることが認められる。
3 以上の如く、本件調査の対象たるべき家庭用粉末合成洗剤の昭和四六年から四八年までの生産出荷状況については、そこに、物価局が本件報告書Ⅲ、Ⅳ項で指摘するような異常な事態は存在せず、被告が存在すると主張する第一の事実は認められないところ、右被告主張第一の事実は、<証拠>によれば、その内容からも明らかの如く、本件報告書のまさに中核的部分を占め、本件結論を導き出すための最も主要な根拠であると認められるので、被告主張に係るその余の第二ないし第六の各事実の存否の判断をまつまでもなく、本件報告書はその最も主要な部分において真実に合致しないといわざるをえない。
二なお、念の為、被告主張第二ないし第六の各事実の存否につき、以下検討する。
1 第二の事実(在庫量と都内向け出荷割合の減少)について
原告会社と訴外ライオン油脂の二社合計の在庫量が、昭和四八年六月から一〇月までの間、別紙五記載の表どおり、対前年同期比で減少していることは当事者間に争いがない。
右の在庫量の減少が、昭和四八年六月から一〇月までの間における右両者の出荷量の増大により招来されたものであることは別紙五記載の表により明らかであるが、右の在庫量、出荷量の増減の原因は、競争会社の出現等その時における市場供給に変化を与える諸要因の解明を待たなければ、明かにならないものであるから、単に在庫量が減少したからといつて需要増に見合つた生産が行われなかつたものと即断できる筋合ではない。
のみならず、<証拠>によれば、原告会社におけるその当時の正常在庫量は月九〇〇〇ないし一万トンであることが認められるのであるから、昭和四八年六月から一〇月までの前記二社合計の在庫量がメーカー段階で品薄状態が極度に進行していたことを示す程のものでないことは明かである(ちなみに、<証拠>によれば、洗剤不足が鎮静化した昭和四九年四月から昭和五〇年一二月までの間においても、業界全体の在庫量が、しばしば、前記二社合計の在庫量の数値を下回つていたことが認められるが、それにより洗剤不足状態が生じなかつたことは顕著なところである。)。
又、都内向出荷割合の減少の点についても、被告主張のとおりの減少の事実は<証拠>によつて明かであるものの、本件全立証を精査しても、被告主張の0.8パーセントの減少の事実が大手メーカーにおいて洗剤不足状況の発生し易い要素を持つ都内に対して意識的に出荷割合を減少させたことを推測させる根拠となることを明確にする資料を見出しえない。
従つて、被告主張第二の事実はその主張の業界等による生産制限・出荷操作を推認させる根拠とはならない。
2 第三の事実(原告会社が大手スーパーへの重点出荷に切り換えたこと)について
原告会社が大手スーパーへの重点出荷をしたことは当事者間に争いがない。
しかし<証拠>によれば原告会社が大手スーパーへの重点出荷をしたのは、洗剤不足が生じた後の昭和四八年一一月二一日からであり、又、その目的は、多数の消費者と直結するスーパーに緊急、大量に輸送することによつて洗剤不足による過熱状態を鎮静化しようとするところにあり、かたがたその趣旨にそう通産省の行政指導もあつて、右の重点出荷をしたことが認められるのであつて、右の事実によれば、原告会社による大手スーパーへの重点出荷の結果、大手スーパーの存在しない地域に品薄状態を招来させたことがあつたとしても、右重点出荷への切換えが被告主張の業界等による生産制限・出荷操作を推認させる根拠とならないことは明かである。
3 第四の事実(価格値上げの準備工作が行われたこと)について
原告会社が、公正取引委員会に対し、昭和四八年七月に再販指定商品たる洗剤の一〇パーセントの値上げ申請を、又、同年一一月に再度二〇パーセントの値上げ申請をしたこと、原告会社が、同年一〇月に事実上の値上げ予告文書である「花王販売レポート」と称する文書を作成し一一月初旬に全国の販売会社、卸問屋、小売店に配布したことは当事者間に争いがない。
右の事実に<証拠>を総合すれば、原告会社は、昭和四八年春以来の原材料価格の高騰、特に同年七月五日のアメリカ農産物輸出制限による油脂、ヤシ油の急騰に伴い、同年七月頃から製品の値上げを考えるようになつたこと、同年九月から一〇月にかけて、訴外ライオン油脂から原告会社に対し、製品値上げについての申入れがあつたが、原告会社は、右申入れを拒絶したことが認められ、又、<証拠>によれば、業界紙である日本洗剤新報は昭和四八年九月一〇日付の紙上に「原材料の高騰は、必然的に洗剤の価格是正に近々持込まれることは必至だろう。」との観測記事を掲げ、同年一〇月八日付紙上で、訴外ライオン油脂が、同月五日、原材料の高騰に対する具体的な対応策として、台所洗剤、ヘビー洗剤の無定価(指示価格制)の実施に踏み切つたが、少くとも年内に二割値上げの全面実施は確実であろうと報じたことが認められるのであつて、これらの事実によれば、販売会社、卸問屋、小売店を含む業界において昭和四八年内に製品価格の引上げが必至であるとの認識が一般であつたことは推認するに難くないが、ひるがつて、原告会社の値上げ申請がその認識形成の契機となつたことを認めしめるに足る証拠はなく、原告会社による「花王販売レポート」の配布も、既に関西方面において洗剤不足が生じ、これが新聞・テレビ等により大々的に報ぜられ、全国的に波及し始めた段階においてなされたものであるから、これが値上げ気運に一層拍車をかけ、メーカーから消費者に至る中間流通過程において製品が滞留するきつかけを作つたものと認めることはできない。
その他本件全立証によるも、被告主張の価格値上げの準備工作が行われたことを認めることはできない。
4 第五の事実(販売会社、卸問屋等による製品滞留の疑いがあること)について
仮に、被告主張のとおり、販売会社、卸問屋等による製品滞留の疑いが存在したとしても、そのことからメーカー側の生産制限・出荷操作が推認できる筋合ではなく、本件報告書においても、一次、二次もしくは三次の卸問屋につき、入荷、出荷、在庫の各項目毎に実数による論証を行い、右製品滞留の実態を明かにしているものでないことは前掲甲第四号証により明かであるから、この点に関する被告の主張はそれ自体失当である。
5 第六の事実(液体洗剤の生産出荷操作の疑いがあること)について
液体洗剤の生産量の推移が別紙三記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、これによると、被告主張のとおり、昭和四八年五月から一〇月までは生産量は対前年同期比において下回つているが、一一、一二月においては前年同期の生産量を上回り、年間生産量においても、前年より一四〇〇トン余上回つていることが明かであるが、液体洗剤生産量の減少についてその原因を詳細に解明することなく、これを生産出荷操作によるものと即断することはできないし、いわんや、右生産量の減少から業界等による粉末洗剤の生産制限・出荷操作を推断することは早計に過ぎるものといわなければならない。
5 以上のとおり、被告の主張する第二ないし第五の各事実も、それが認められないか、又は認められたとしても被告の主張する業界等による生産制限・出荷操作を推認させる根拠となるものではない。
三従つて、本件報告書の公表事実は、その主要部分において真実性の立証がないことになるので、本件報告書の公表事実が公共の利益に係わり、その目的が専ら公益を図るものであることは当事者間に争いがないものの、抗弁一は理由がなく、本件報告書の公表は違法性を阻却されない。
第四責任原因について
一被告は、洗剤不足という公的問題について本件報告書を公表したのであるから、かかる場合、被告の行為が違法とされるには、被告自身が公表に係る本件報告書の内容が偽わりであることを知り、若しくはその真実性につき重大な疑問を抱きながら右内容を公表したという、いわゆる現実的悪意が必要とされ、その点の主張立証責任は原告会社に存在すると主張するので、まずその点について判断する。
本件調査の目的が洗剤不足の原因の究明という都民の生活を守りその福祉の向上を図るためになされた公共的問題に関するものであることは前記の如く当事者間に争いがなく、本件報告書の内容が公共的問題に関する事柄であり、その公表がもつぱら公益を図るためになされたことは右の事実から推認できる。
しかし、民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、もつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されなかつたときにおいても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当であるが(最高裁判所昭和四一年六月二三日第一小法廷判決民集二〇巻五号一一一八頁)、更に進んで、本件において、被告主張の如く、行為者において摘示された事実が虚偽であることを知り又はその事実の真実性について重大な疑問を抱いていたことを被害者が主張、立証しない限り、不法行為は成立しないものと解すべき筋合のものではないと考える。けだし、この問題は、人格権としての個人の名誉の保護と基本的人権としての表現の自由との調和と均衡にかかわる問題であり、この調整を図つたのが刑法第二三〇条ノ二の規定であるから、その法意に即して解するのを相当とするからである。
もとより、国民の基本的人権たる表現の自由は、国、地方公共団体、公務員等に対する関係において、最大限に保障されなければならないが、原告会社は、前記当事者間に争いがないとおり、訴外ライオン油脂と並んで洗剤業界における最大手のメーカーであり、洗剤に関しては原告会社の行動如何によつて国民生活に重大な影響を及ぼす虞が存在し、それ故原告会社は消費者の信頼を裏切らないよう努力すべき社会的責任を負担するものであり、それに対するある程度の批評批判は受忍すべきであると考えられるものの、他方、原告会社はあくまでも民間の一私企業に過ぎず、その企業目的、構成員の性質、憲法で保障された各種国民の権利との関連性等においても、未だ原告会社をもつて国民のあらゆる批判批評を最大限に甘受受忍すべきことが要求されるような高度に公共的な団体とはいえず、本件についてみるときは、一般私人が被害者である場合と同列に論ぜられるべきであると解するのが相当である。
これに対して、被告が、地方公共団体としての責務に基づき、一定の機構を設け、行政広報活動を行つており、その一環として本件報告書の公表を行つたものであることは明かであり、その行政広報活動は日本国憲法第二一条の保障を受けるものと解すべきではあるが、被告は、地方公共団体として民主的にして能率的な行政の確保を図り、地方公共の秩序を維持し、住民等の安全、健康及び福祉を保持する等の責務をもまた有するのであるから、被告の行政広報活動は、右の被告の責務との関連、調和においてなさるべきものであり、住民の知る権利(地方公共団体の知らせる義務)に奉仕するという役割を担つているということから、直ちに、日本国憲法第二一条の保障をより厚く受けなければならないとの帰結を導き出すことはできない。
以上の点からして、本件において被告主張の現実的悪意の法理を採用するのは、適当でなく、このことは、刑法二三〇条ノ二の三項の規定の法意からいつても肯定されるものである。
二そこで、まず本件報告書の公表に関する原告会社の名誉毀損についての被告の過失の有無について検討する。
原告会社は通産統計の粉末洗剤と液体洗剤の合計数量をもつて家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷を論じ本件報告書を作成しそれを公表したことは被告の基本的致命的誤りに基づくものであると主張するのに対し、被告は右合計数量を利用する方が洗剤不足の実態をよく表現しうると主張するので、右合計数量利用の相当性について判断する。
1 まず、本件調査は家庭用(衣料)合成洗剤の不足の原因を究明するためになされたものであるところ(これは前記のとおり当事者間に争いがない)、家庭用(衣料)合成洗剤とは前記のとおり通常家庭用「粉末」合成洗剤のことを指摘することを考えると、家庭用(衣料)合成洗剤の不足の原因を究明するためには原則として家庭用粉末合成洗剤そのものの資料を基礎にするのが自然であり、そのことによつてこそ本件調査の目的の家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷状況の実態が正確に把握できるものといわざるをえない。
しかも、家庭用(衣料)合成洗剤の意味については、前掲証人は洗剤は大略七五パーセントが粉末、二五パーセントが液体で、衣料用液体はその二五パーセントの液体洗剤の中の五〜六パーセント強ではないかと証言していることからも明らかの如く、本件調査に当つた物価局職員も家庭用(衣料)合成洗剤の殆どは粉末洗剤によつて占められていることを認識し、家庭用(衣料)合成洗剤とは粉末洗剤を意味するものであることを知つていたといえるので、かかる事情も合わせ考慮すると、右合計数量をもつて家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷状況の実態を論じ、本件報告書を作成し、それを本件結論の根拠づけの一つとした物価局の措置は相当なものであつたとはいえない。
2 又、前掲<証拠>によれば、本件調査は衣料用洗剤の不足の原因究明ということで着手したが、その過程で粉末衣料用と密接不可分の関係にある台所用液体についても生産減少、品不足等の異常が認められたため、液体洗剤も含め検討すべきではないか、粉末洗剤と液体洗剤の合計数量から分析しないと洗剤不足の実態に迫らないのではないかということになり本件報告書が作成されたことが認められるが、それによれば、物価局は当初粉末洗剤の生産出荷の実態を究明しようとしていたものであり(それだからこそ、前記当事者間に争いがないとおり、物価局は原告会社及び訴外ライオン油脂に対し昭和四六年から四八年までの三か年間にわたる粉末洗剤生産量出荷量の照会を行ない、その資料を二社から入手しているのである。)、それが本件調査の過程で当初の方針を変更し液体洗剤も合算して論ずることとなつたのであるから、変更方針のあつた後の調査は最早本件報告書の表題にいう家庭用(衣料)合成洗剤即ち粉末洗剤に関する調査とはいえず、粉末洗剤・液体洗剤を含めた洗剤一般に関する調査になつたといわざるをえないので、液体洗剤に異常が認められ、両者を合算して論ずるのが適当であると判断したのであれば、本件報告書作成の真意が如何に両者を含めた洗剤不足の原因究明のためであり、それに関する真実の資料からの分析であるとしても、本件報告書作成に当たつては、まず粉末洗剤と液体洗剤を含めた洗剤不足の原因究明に関するものである旨明確に記載説明するのが、正確な情報を消費者に伝えるべき物価局の当然なすべき所為であるというべきであるところ、<証拠>によれば、本件報告書においては本件調査があたかも粉末洗剤の調査報告である旨社会一般に印象づける「家庭用(衣料)合成洗剤調査報告」と題する表題を使用し、その内容においても右表題の下にあたかも同書掲載の資料が粉末洗剤に関する資料であるかの如き印象を与える形で使用説明されており、このことからすると、本件報告書は形式と実体が遊離した報告書であるといわざるをえなくなるのである。
3 更に、前記認定の如く、本件調査の過程で洗剤は大略七五パーセントが粉末、二五パーセントが液体である旨物価局職員は認識していたのであるから、二五パーセントをも占める液体について本件報告書の中で何等の合理的説明をすることなく、粉末洗剤を意味する家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷を論ずる資料の中に含め記載することは、人をしてその認識を誤まらしめるものであり、理解に苦しむ措置といわざるをえないし、又、加えて、<証拠>によれば、本件報告書作成責任者である物価局指導部副主幹木戸正儀は洗剤のうち二五パーセントを占める液体洗剤の約九四〜九五パーセント弱が台所用液体洗剤であることを認識していたことが認められるから、かかる割合を占める台所用液体洗剤を安易に家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷の実態調査資料に供することは、被告主張のとおり液体洗剤の生産量に異常が認められたとしても、粉末洗剤の不足の実態をよく表現するものとはいえず、むしろ家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷の実態、その不足の原因の究明にとつては明らかに無用有害なものであつたといわざるをえない。
4 なお、右合計数量使用の相当性の理由について、前掲証人は、前記液体洗剤の生産量の異常の他に、(一) 粉末洗剤と液体洗剤の主原料は同じであること、(二) 洗剤不足時には両者の代替使用があつたこと、(三) 原告会社の国会議員への洗剤不足に関する送付資料、原告会社社長の国会での答弁及び原告会社及び訴外ライオン油脂などの有価証券報告書の中では右合計数量を使用していること、(四) 通産統計において出荷量在庫量について粉末洗剤と液体洗剤を区分し始めたのは昭和四八年からであることを挙示しているが、(一)については、<証拠>によれば、粉末洗剤と液体洗剤の主原料は同じであるものの、主原料の占める割合はもとより製造工程、組成いずれも全く違うことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないから、両者の主原料が密接不可分であるからといつてそれらを包括してよいという理由にはならず、(二)については、<証拠>によれば、衣料用洗剤と台所用洗剤を交換的に代替使用することは通常はないことが認められるので、何等理由にならず、又その余の点も右合計数量使用の相当性を理由づけるに足るものとはいえない。
5 右の如く、物価局は、右合計数量をもつて〔図―4〕〔図―5〕を作図し、それを本件結論の根拠の一つとしそれを公表したのであるが、前記当事者間に争いがないとおり、物価局は原告会社及び訴外ライオン油脂から昭和四六年から四八年までの粉末洗剤の生産量出荷量の数値を入手しており、又、通産統計には右三年間の生産量の数値が存在するのであるから、物価局において原告会社及び訴外ライオン油脂から入手した数値を元にその数値をグラフ化するならば、前記第三、一、2、(一)(2)、(二)、の事実が、通産統計の右生産量の数値をグラフ化するならば同2、(一)(1)の事実が認められ、右各図表を〔図―4〕〔図―5〕と対比することにより、通産統計の粉末洗剤液体洗剤合計数量をもつて粉末洗剤を意味する家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷の実態を解明することは不適当であると容易に判明しえたと考えられるところ、<証拠>によれば、物価局は、価格、物価、生活物資の安定供給、消費生活に関する問題等の専門的知識を有する職員で構成されていることが認められるのであるから、かかる専門的知識を有している者達であれば、右グラフの相異が何を意味し、それを本件報告書内で使用することが適当かどうか自ら認識しえた筈であり、前同証言によれば、現に物価局においては〔図―4〕〔図―5〕を使用することの適否につき検討が加えられたが、結局液体洗剤についても異常が認められるところからそれらを使用することで意見が一致したことが認められる。このように、液体洗剤について異常が認められたならば、物価局としては、粉末洗剤と同様液体洗剤に関しても原告会社及び訴外ライオン油脂に資料の提供を求めれば、前記当事者間に争いがないとおり、二社の市場占有率は六〇〜七〇パーセントであるのであるから、大体の市場動向は把握しえた筈であるのに、物価局は液体洗剤の資料提供を右二社に求めていないものであり(この点は当事者間に争いがない)、その理由につき前掲証人は、二社の液体洗剤の数値は通産統計の中で占める二社の粉末洗剤の占める割合で推計でき、又、液体洗剤の品不足等はさほどひどくなく一時的であつた旨証言しているが、果して正確な具体的数値に近いものを推計できるのかどうか、又、物価局が提出を求めるならば容易に入手しえたであろう数値であるのに、それをせずかかる公共的調査において推定値を安易に使用していいものかどうか疑問であり、又、液体洗剤の品不足等がさほどひどくなく一時的であると判断したのであれば、何等あえて液体洗剤の数値を合計した通産統計を使用する必要はなく、粉末洗剤のみの数値を使用すべきであつたし、又、液体洗剤の異常が認められたから洗剤不足の実態は右合計数量を使用して解明する必要があるというのであれば、積極的にその点の資料収集をし、その分析を詳細になしたのち液体洗剤の分析も含め本件報告書を作成公表すべきであつたといわざるをえない。
6 次に、前記第三、二において説示したとおり、被告が業界等による生産制限・出荷操作を推論した根拠としてあげる諸事実はそれが認められないか、又は認められたとしても被告の主張する根拠とならないものであるところ、前認定の諸事実その他本件全立証によつても、物価局において、その主張の諸事実が真実であり、その主張する根拠となるべきものであると信ずるにつき、相当な理由があつたとは認められない。
7 以上の次第であるから、物価局が前記合計数量を基礎に〔図―4〕〔図―5〕を漫然使用し、本件報告書において本件調査の最も主要な地位を占める昭和四六年から四八年までの家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷状況を記載説明し、それを公表したことは、前記認定の物価局の所轄事務内容からして明らかに重大な致命的過失であるといわざるをえず、洗剤不足の第一の原因が業界等による生産制限・出荷操作にあつたのではないかという推測を本件報告書において公表することにつき相当な理由があつたとはいえない。
なお、被告は、洗剤不足という広く公衆の利害に係わる事柄につき、その原因と実態を都民に知らせる公益目的のための地方公共団体の広報活動でしかも迅速性が要求される場合には、真実と信ずるについて相当な理由があつたか否かの判断も緩やかになされるべきであると主張するが、前記認定の如く、被告は、東京都緊急生活防衛条例を制定、公布し、六部一五課を擁する物価局を新設し、右条例の目的を遂行しようとしたものであり、その擁する機構人員、わが国の行政において占める被告の地位等からすれば、被告の行う行政広報活動が国民一般に与える効果ないし影響は甚大かつ深刻なものがあるというべきであり、そうである以上、可及的に正確な情報を伝達し、それにより他の法益を侵害することのないよう、細心な配慮をなす必要があるものというべく、その広報活動が公衆の利害に係わる公益目的のためになされ、迅速性が要求されるからといつて、その広報活動により人格権としての個人の名誉が侵害される場面において、被告の免責についての判断を緩やかになすべき筋合はないし、又、本件報告書公表に係る過失が前説示のとおり基本的致命的なものであることを考えると、例えそれが真実都民の生活と福祉の向上のためになされ、故意による全くのデツチ上げでなく、原告会社を中傷誹謗することを目的としてなされたものでないとしても、被告の右主張は採用の限りでない。
第五抗弁二について
前記第四項において述べた如く、物価局が〔図―4〕〔図―5〕を使用して本件報告書の主要部分を構成する昭和四六年から四八年に亘る家庭用(衣料)粉末洗剤に関し当該重大な致命的過失を犯していることは明らかであるから、かかる事情の下においては、本件報告書が如何に公共の利害に関する又一般公衆の関心事である洗剤不足という事項に関するものであつても、如何なる意味においても公正な論評とはいえないので、抗弁二は理由がない。
第六損害について
物価局が、昭和四九年三月二七日、都議会に本件報告書を報告すると共に、新聞等報道機関に本件報告書を配布しかつ記者会見をしてその内容を公表したこと、新聞各紙は右公表に基づき昭和四九年三月二八日付朝刊において、「洗剤の値上り、業界の操作が原因」(朝日)、「洗剤不足メーカーが操作」(毎日)、「洗剤の“演出パニツク”あばく」(読売)、「「洗剤不足」も作られた」(日本経済)、「やはり“人為パニツク”」(東京)等の見出しのもとに、本件報告書の内容を報道したことは前記のとおり当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右新聞五紙の内一社(日本経済)を除いてはメーカーとして原告会社の社名を掲載したうえ、右五紙はそれぞれ洗剤不足の第一の原因はメーカーの生産制限・出荷操作である旨の本件報告書の内容を詳細に掲載していることが認められ、右事実によれば原告会社はその名誉を毀損されたことにより無形の損害を被つたといえる。
以上の事実によれば、物価局が本件報告書を公表したことは不法行為を構成するものであること明らかであるから、被告は民法第七〇九条により右不法行為により原告会社の被つた損害を賠償する義務があるというべきであるところ、叙上認定の諸般の事情を考慮すると、被告は、原告会社に対し、その無形の損害の金銭的填補としての金一〇〇万円を支払う義務があるが、名誉回復の適当な措置としての謝罪広告をなすべき義務はないものといわなければならない。
第七結論
よつて、原告会社の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用し、仮執行宣言の申立は相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。
(山口繁 遠藤賢治 古屋紘昭)
別紙一〜一六<省略>